境内案内

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境内案内図

貞治の碑( 北海道指定有形文化財)
当麻曼荼羅複描図( 江戸末期作)
四天王尊像( 桃山時代作)
円空作観音像( 函館市指定文化財)

他多数

観音堂

観音堂

 昭和9年の未曾有の函館大火で類焼を免れた北洋漁業家の八木実通は、その奇跡を自宅に安置信仰していた室町時代の秀作である聖観音菩薩像の霊験と感謝し、明治時代の大火で焼失して以降、観音堂の再建がなされていなかった称名寺に観音堂を再建するよう遺言し逝去した。
 その遺志により実通の父である今治の実業家、八木亀三郎が中心となり、起工。昭和12年、観音堂が完成した。両側尊像として西国三十三観音像が祀られている。奥の院の秘仏十一面観音像は、現在は宝物室でお参りができる。

函館山三十三観音

 天保年間、元々称名寺に三十三観音堂があったことから当時の称名寺住職と檀家の蛯子長兵衛が中心となり、西国三十三観音の分霊所を函館山に実現させた。西国三十三観音各所から採取した土石を一所ずつ埋め、ご尊像は阿波の花崗岩製で高田屋嘉兵衛の協力のもと、西海から海路で運んだ。
 明治32年に函館山が軍の要塞になるまで、市民の函館山三十三観音への尊信は大変大きく、特に春秋の山掛けは多くの人々が登拝した。
 その後、函館山が要塞になったため、三十三観音の殆どが山裾へ、更に大正3年に湯川村へと移されたが、巡拝の納めは称名寺に戻るようになっていた。
 翌4年、多くの復帰要望により新像が造られ、再び山裾に祀られた。のちの太平洋戦争終結後の昭和23年、函館山に移され現在に至る。

第三十三番

第三十三観音
境内12